【バイク自慢】人生を変えた相棒との出会い・バイク愛【語りつくします】

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バイクの買取相場カタログ » 可愛い相棒を愛でてくれ 俺たちの愛車・バイク愛自慢

可愛い相棒を愛でてくれ、俺たちの愛車・バイク愛自慢

人生を変えてしまうようなバイクとの出会い、30年近く連れ添った相棒、自慢のカスタム車など、バイク写真ととももに思う存分語りつくしてもらう企画です。本サイトの執筆も担当された「ライダーライターTさん」のバイク自慢もお見逃しなく!

DAICHIさん

これまで乗ってきたバイク(車種)

  • ホンダ:モンキー
  • CB400SF HYPER VTEC
  • ホンダ:NSR50
  • ドゥカティ:SS900HF

序章~単車に恋焦がれた日々~

私がオートバイ(←「バイク」とは呼ばない)という存在を身近に感じたのは、高校生のとき。自分の弟が家の前に乗り付けてきたヤマハのXJR400を見て、指先に電気が走ったような感覚を今も覚えています。当時の私は免許すら持っていないため、弟のXJR400でタンデムさせてもらいました。単車の魅力に憑りつかれるには、10分も必要ありません。私はスグに近所の本屋さんに行き、オートバイ専門誌を購入していました。

初めての愛車はチビっ子モンキー

当時は単車を購入するお金もなく、まずは原付免許を取得。近所にあるホンダに足を運びました。大きなオートバイが並ぶ中、私がチョイスしたのはモンキー(50cc)です。どうしてもミッション車に乗りたかったので、スクーターはアウトオブ眼中。50ccクラスでのミッション車は、モンキーのほかゴリラやマグナフィフティーなど。いろいろ迷ったあげく、小粒な車体でカスタマイズ性の高いモンキーにしました。

契約を済ませ、後日納車日にホンダへ。納車日のワクワク感という気持ちも初めてで、まるで遠距離恋愛をしている恋人と久しぶりの再会をする気分です。ホンダのスタッフから説明を受け、いよいよエンジン始動。もちろんキックスタートです。初めてのエンジン付き二輪車。世界No.1オートバイメーカー・ホンダの誇る単気筒OHVエンジン、カブと同じ形式です。

始動したエンジンは軽快かつ子気味良い音を吐き出しました。クラッチを握りミッションを1速に、右手のアクセルを開けながら、半クラッチで走り出します。公道へ出てミッションを2速3速に。風が顔に吹き付けてきます。

この時の感動は、まさにオートバイを走らせる悦びを凝縮したものだったと確信しています。小さなエンジンではありますが、エンジンオイルと排気ガスの匂いが鼻をつき、右手をヒョイとひねれば“ビュン”と加速する。人力ではありえない「マシン」にまたがって風を受ける…これは排気量の大小に関係なく、オートバイそのものの愉しさなのです。

しばらくして運転に慣れてくると、次はカスタマイズをしたくなるのが男のサガというもの。近所のパーツ屋に足繁に通い、大小さまざまなパーツを購入しました。

最初はハンドルグリップ程度ではありましたが、次第にタコメーターやブレーキホース、座席、マフラーなど大きなものへと広がることに。
さらに前後タイヤ、ブレーキシステム、リアサスペンションまで変更。最終的にはエンジンのボアアップをして70ccになりました(ナンバープレートが黄色に変更。もちろん普通二輪免許を取得してからです)。

自分の愛車がイチバンカッコよく、イチバン素晴らしい走りをすると惚れ込んでいました。

そんなモンキーとのお別れは、納車されてから2年ほどが経過してから。夜、バイト帰りのよそ見運転で電柱に激突(体の左半分)。マフラーがエンジン内部で折れ曲がり、ほぼ修復不可能。もろもろの破損を鑑みて廃車になりました。

400ccの魔力に取りつかれたCB400SF時代

モンキーを走らせながら、私の頭の中は「中免」一色でした。専門学校の夏休み、いわゆる合宿免許で普通二輪免許を取得。モンキーを購入したホンダに行き、選んだのはCB400SF HYPER VTECです。CB400SF自体は教習者として広く全国で使われており、とにかく乗りやすく壊れにくい逸品。それだけでは物足りなさがあったのですが、HYPER VTECを搭載したエンジンが発売されたので、これがキッカケになりました。

納車されて走り出します。もちろん教習所で400ccはさんざん乗ってきました。でも、もっと開放的な何かが私を包みました。さらに、包まれるだけではなく、もっとアクセルを開けたい…そんな衝動に駆られる悪魔的な魅力を感じていました。

それはVTECエンジン特有のフィーリングがもたらすものだと気づくのに、数分もいりません。ホンダ技研伝統の4サイクルDOHCエンジンにおいて、低回転域は2バルブで、高回転域は4バルブに。バルブ数を可変させることで、高出力とフィーリング向上の両立を実現した画期的なエンジンなのです。

タコメーターの針が6,500回転を超えると、足元にあるエンジンから、“フィーーン…!”という、魅力極まりないささやきが始まります。このささやきを聞きがたいがために、乗り手であるライダーは、アクセルを開けることを辞められません。

私の場合、モンキーから400ccへのステップアップということもあり、圧倒的なスピード感の虜になりました。毎週のように峠へ繰り出し、へたくそながらもライディングを楽しみ、自然の風景も同時に楽しみます。高速道路では低い姿勢をとりながら6速まで引っ張りアクセル全開。もうオートバイに乗るのが楽しくて仕方がなく、夜に雨が降ると分かっていても朝から出かけて、夜に大雨のなか高速道路でぶっ飛ばしながら帰宅…なんてことも楽しい思い出です。

このCBにもさまざまなパーツを与えました。風よけのミニカウルからブレーキホース、ブレンボ製ブレーキディスク、ファディーダディーのマフラー、前後タイヤは溝少なめのレーシースタイル。極めつけは、オートバイ自体の種類が「ネイキッド」にも関わらず、セパレートハンドルに換装したこと。自分自身のオートバイ思考がレーサー寄りだったことを知り、少し無理があるながらもセパハンにしたのです。CBでセパハンの状態でガソリンスタンドに行くと、スタッフから面白そうな目で見られたことを覚えています。

当時はスマホもなかったので、CBの後部座席に地図とバッグを括り付け、1人旅行をよくしました。祖母がいる福島県に行くとき、家族は電車ですが私だけオートバイで出発。あえて山道を選択して新しい峠道を走りました。

レーシー思考に憑りつかれた日々~NSR50~

CBを保有しながら、通称「エヌチビ」ことNSR50を購入。こいつもバイク屋で一目惚れした逸品です。ホンダレーシングチーム「HRC」の遺伝子を受け継いだNSRの最小排気量。あえてNSR250にしなかったのは、CBとのすみ分けもさることながら、2サイクルエンジンの暴力的な加速に身の危険を感じたこともあります。

当時はスクーターが2サイクル全盛ではありましたが、レーサーバイクといえば2サイクルミッション車なのです。オートバイのF1でもあるWGP(現在のmotoGP)では、ホンダのロスマンズカラーNSR500が象徴でしたから。私が購入したキッカケになったのも、ロスマンズカラーの車体が売りに出されていたからです。

このNSR50で、初めてバイクいじりの世界に飛び込むことに。いまではコンピュータ制御のフェールインジェクションシステムが当たり前になっていますが、小排気量クラスではキャブレターによるガソリン噴射システムが普通でした。このキャブレーションの調整(その日の気温や湿度による…ラーメン屋じゃないです)が、エンジン回転や出力に大きく関わってくるのです。乗ってはバラし、乗ってはバラしを繰り返すことで、無駄にエンジンのことが分かってきます(分かった風になります)。

NSR50はその名のとおり50ccであるものの、6速で15,000回転をたたき出して最高速度130km出ます。車体が驚くほど小さく、乗り手の視線が非常に低い位置にくるため、圧倒的なスピード感を味わえるのです。湾岸道路で、乗用車を一瞬で置き去りにするスピードに感にのめり込んでしまいました。50ccで100km以上、車体がガタガタ震え、耳を切り裂く排気音。優秀なサスペンションにブレーキシステム。世界最高のオートバイのひとつと言って過言ではありません。

憧れの彼女に出会う~Ducati ss900~

毎月購入していたオートバイ雑誌「ライダーズクラブ」。チャラい情報は一切なく、安全に楽しく速くライディングするための硬派雑誌です。この雑誌に紹介される車種は、国内外の大型オートバイばかり。この雑誌の中でいつも現れるのが、イタリアのオートバイメーカーであるドゥカティです。国内メーカーでは絶対にできない独創的かつ魅惑の車づくりをしています。私の心は大型免許に傾倒していました。

いつしかCB400を手放し、NSR50だけになりました。どうにかしてドゥカティのディーラーで実物を見たいと考えた私は、専門学校のPCでホームページを検索し、わりと近くにディーラーがあることを発見(ドゥカティとハーレーのショップが合体していた)。アポもなく、すぐにエヌチビで向かうことに。そこは外車特有のオシャレでキレイな空間で、これまでのバイク屋とは一線を画していました。小汚いNSRで乗り付けた私は、さぞ変わった存在でしょう。なにしろ50ccのオートバイでリッタークラス(1000cc)の商品しか置いていないショップに来ているのですから。

目を輝かせて実物のドゥカティたちを眺める私。モンスターやスーパースポーツなど、さまざまな車種があるなか、私が一目惚れしたのはSS900。それもハーフカウル仕様のイタリアンイエローです。

スタッフにお願いして店内でまたがらせてもらい、圧倒的な存在感に気持ちの高揚は抑えきれませんでした。

思わずスタッフに「大型免許、取ってきます!」と残して店を後にしました。

教習所に通いながらも、週1回ほどドゥカティショップに足を運びました。艶めかしい姿で店内に展示されているSS900は、まるで手の届かない高嶺の花。それでも免許を取れば自分の手元にきてくれる。モンキーを購入したときと同じように、1台のオートバイに恋焦がれる私がいました。

そして、いよいよ納車日。正直むちゃくちゃ高い買い物です。イタリアンイエローに合わせたイエローカラーのジェットヘルメットを持ち、ショップへ。整備場から出されたドゥカティをショップの前に置いて記念撮影。自分がドゥカティに乗れる日が本当にきたのだと、感極まる時間を堪能しました。

ss900はドゥカティ伝統のL型90度の空冷2気筒エンジン。1気筒あたり450ccの排気量を持ちながら、高回転までしっかりフィールします。独特の排気音は聞くものを魅了。低回転の圧倒的なトルクは、まさに大型二輪を運転しているという悦びに満ち溢れさせてくれます。

ドゥカティの素晴らしさは、工業品としての見た目の美しさはもちろんのこと、高いシート位置が実現するオートバイの愉しさ「加速・減速・曲がる」を芸術の域でもたらしてくれることです。また、ss900は空冷エンジンなので水冷のような機械的なフィーリングが少なく、人馬一体の感覚が常時アドレナリンを放出させます。

ドゥカティを保有したことで、メーカーとしてのドゥカティファンになりました。ショップが主催するmotoGP観戦ツアー(自分のオートバイで行く)にひとりで参加して、ツインリンクもてぎのメインスタンドでドゥカティを応援しました。

道中、高速道路のSAにズラリと並ぶドゥカティは圧巻です。レース観戦後、ドゥカティ達だけでコースをゆっくり走れたことも、最高の思い出になりました。

大型排気量のオートバイは巡航速度が高く、高速道路でスピードを出すと安定します。行動範囲が大きく広がり、関東近郊のさまざまな峠道に行き、ライディングを楽しみました。

オートバイという工業品は、メーカー・排気量も関係なく素晴らしい乗り物です。移動手段としてビッグスクーターを使う人もいますが、強い嗜好性を持つ乗り物として、いつまでもファンでいたいと思います。

バイク

HSさん

HSさん

これまで乗ってきたバイク(車種)

  • ホンダ:CB125JX
  • カワサキ:GPZ400F
  • スズキ:RG400Γ
  • カワサキ:GPZ1000RX
  • ホンダ:XLR250R(2台所有時セカンドバイク)
  • ハーレーダヴィッドソン:FXSTC

二輪の乗り出し~ハーレー以前

自動二輪に強く惹かれたのは、高校生の時、劇場公開になったばかりのマッドマックスを観に行ってからです。カワサキZ系ビッグマシン群の映像に滅茶苦茶影響受けました。時代はちょうど高校生に、免許を取らせない、買わさせない、乗せないの「三無い運動」真っ盛り。自動車学校で受けると高校に連絡が行くくらい徹底されていたので、教習所通いで学校に届け出ず試験場で取得。

最初のマシンは免許取得にお金を費やし購入資金もないので先輩に押し付けられた125cc。原付並みの車格に125エンジンなのでそれなりに走りはしました。その後はGPZ400F。カワサキ車特有の大きな車体に、色はシルバーでカウル付きなので気分だけマッドマックスのグース(苦笑)

400とはいえカワサキは免許所得前からの憧れだったので一旦満足はしたのですが、次第に世の中レプリカ全盛時になり、ついついレプリカマシンに移り気してRG400Γを購入

コイツはタコメーターが3千からしか刻んでいない「回さない奴は乗るな」仕様で、直線加速もコーナーのライディングも中々面白いものがありましたが、やはり最終目標は大型自動二輪。二十代半ばで限定解除し、念願だったカワサキビッグマシン--当時のフラッグシップモデルだった逆輸入車GPZ1000RX--を購入

北米仕様でしたのでNinja1000Rの表記で、アメリカの排ガス規制からか数馬力デチューンの車でしたが120psのパワーは二輪車の観点としては十分で、トルクやスタイリングも大いに満足がいくものでした。とにかくデカく安定感も抜群でしたので、関東圏のみならず北海道ツーリングもこのマシンでこなしました。が、しかし、カワサキビッグマシンまでたどり着いたのでここで終着点という訳でもなく、この頃までは乗り継ぎながら「次に乗るマシン候補」を常に考えてたりで、二輪雑誌もよく購入し色々なマシンのスペックや情報をチェックなんてのがまた楽しかったりしていたのも事実です。

カスタムのパラドックス。

カワサキ同様、憧れのメーカーだったのがイタリアのドゥカティでした。その頃のドゥカティの新型は2代目の900SSでしたが、もう少し古い、いかにもドゥカ的な丸みの帯びたカウルやスタイリングが好みで中古の900MHRあたりを探そうかななどと考えてい折、友人がハーレーを購入。

ハーレーは二輪道楽の行き着く先で、人生リタイア後にでもゆっくり乗ればいいなんて偏見に満ちていた自分ですが、一緒に走りに行って目から鱗というか、意外に走るし、意外に早い!また実物を目にするとほぼ金属パーツで成り立っているので、細部にFRPやプラスチックなどを用いている国産に比べ質感がダンチに違う。フルドレスと違い余分なものが着いていないタイプでエンジンの大きさも強調されるスタイリングで…。一発でやられました。評判を聞いてもEVOになってから中々壊れない(笑)と。

ドゥカティは頭から吹っ飛びハーレー一色であります。結局1000RXを下取りに出して中古の初期EVO、FXSTCを購入。もう四半世紀以上続く相棒との付き合いの始まりです。

国産から乗り換えて一番戸惑ったのはブレーキ。カワサキビッグマシンやスズキのレーサーレプリカといった国産の中でも鬼のようにブレーキの効くマシンに乗って来たので、ハーレーのブレーキは(今の新型は知りませんが)無いに等しい、まったく止まらんて感じで、まずブレーキキャリパー・ディスクローターを交換。これがカスタムへの道への入り口でしたっけ。見た目よりも大柄なポジションなのでハンドルやシートといったライポジ関係から始まり、徐々に走りに関する部分、吸排気系やエンジン、足回りなどまで手を広げて行く状況に。

マシンをカスタムした人なら分かると思いますが、どこかに手を入れると微妙なバランスが崩れまた別のどこかに手を入れたくなるものなんです。でそれが答えかどうか分からない、またノーマルに戻してみたり(苦笑)。

しばらく試行錯誤しましたが数年でやるべき事は見えました。ハーレー専門店で購入した訳ではないので、その後のメンテやカスタムのために友人に紹介してもらったショップがドラッグレースで有名だった練馬のHotDockさんだったのも、その後のマシンの方向性に影響していると思います。

人間関係と時間軸の変化。

コイツに乗り出してから変わった世界観にさまざまなバイカーとの出会いがあります。乗ってから数年経ってモーターサイクルクラブに加入したのもありますが、10年ぐらいはとにかく良く走ったな。現在走行距離は5万5千を越えましたが4万キロくらいはこの時期に走りました。

仕事で地方のロケ現場に乗り付けたり、鎌倉での友人の披露宴に着替え結わえ付けて行ったり、島根、山形、新潟…色々なキャンプミーティングに参加したり地方の仲間に会いに行ったりで。その中で色々な人に出会ったり紹介されたり…。

ハーレー第一世代の大先輩レーザークラフトマン、シルバー細工職人、編集ライターやイラストレーター、バンドマン、カスタムビルダー…クラブのメンバーのみならず実にさまざまな方々と知り合いました。その付き合いの中でまた次の出会いがといった感じでバイク付き合いというよりも人間同士の付き合い迄発展している人たちが多いです。多分国産を乗り続けていたら出会わなかった人たちでしょう。

また時間をかけて道中楽しむといった感じになったのもコイツに乗ってから。国産時はとにかく早く移動するのが第一って感じで一人でもしくは数人で目的地までまっしぐら。何キロ出した、何時間で着いたらエライてな感じでしたが、ハーレーの場合一緒に走る連中の中にはショベルヘッドとか古い車も多いし、誰かのマシンにトラブルがあるのは当たり前。そんなトラブルもあわせて道中楽しむみたいな感じで。二輪の魅力としてスピードはありますがそれだけではない時間の使い方や人間関係など自身の持つ二輪の世界の価値観は確実に広がりました。

金属だらけなので手入れに手間暇がかかるのも魅力のひとつ。汚いバイクは許せないので最初は意地で磨いていたのもありますが、自分を見つめなおしたりこれからの事を考えたりといった時間にもなり得ます。最近はさすがに色々な所がヤレて来まして、磨くだけでは如何せん部分もありますが洗車は最大のメンテ也といった意味も併せて有意義な時間です。

どのマシンにもそのマシンならではの魅力がある。

以前のように次に乗りたいマシンは…という気持ちはありません。何か大きな出来事でもない限り多分コイツとともに朽ち果てる迄といった事になると思います。かといってハーレーナンバーワン!という訳でもありません。よく自身の所有メーカー最高!アピールの強い人もいますが、人の嗜好に寄って合う合わないはありますし、自動二輪自体、個人の趣味嗜好の強いものですので、ま「ハーレーもいいよ」ってくらいな感じです。

過去、自分が乗り継いで来たマシンを振り返ってみても、クラスの中でも大柄な車体にも拘わらず見映えとは違い、インラインフォーで滑らかな走りのGPZ400F。峠攻めは勿論、バンドリハにスネアたすき掛けで乗り付けたり街乗りも意外と楽しかった400Γ。ゴツくワイルドな外観、抜群の安定感と十分なパワーでどこまでも走っていけそうだったGPZ1000RX。RX所有時からハーレー乗り換え初期にセカンドバイクとして安く譲ってもらったオフロードのXLR250も楽しめましたし、どのマシンにも、それならではの魅力があります。

東京に限っていえば、駐輪場の確保や、昔と違い気ままに都内の色々な所へ乗り付けられないなど二輪の持つ利便性が失われつつありますが、不便以上に実にさまざまな魅力的な世界を与えてくれる自動二輪。乗り出しから○十年、後悔はありませんし、これからまた先いつまでも自動二輪との付き合いを続けていければと思います。

バイク

ライダーライターTさん

ライダーライターTさん

これまで乗ってきたバイク(車種)

  • スズキ: バンディット250
  • スズキ: GSX-R400
  • スズキ: GSX-R400
  • スズキ: RF400R
  • ホンダ: VTR1000F
  • ホンダ: リード110

相棒、VTR1000Fとの17年間

私の現在の愛車はホンダVTR1000F(ファイアーストーム)。2001年式で走行距離は91,000km。かれこれ17年乗り続けていることになり、自分でも驚いています。衣類や家電製品、書籍なども含め、ここまで長期間所有しているものは他にないのではないかと思います。

実は中型免許時代にはスズキを乗り継いでいたのですが、大型免許取得後は、このVTR1000Fにずっと乗り続けています。もちろんその間に試乗やレンタルで別のバイクにも乗りましたが、未だに手放せないでいるのは、やはり「乗っていて楽しい」という点につきますね。

そんな長年の相棒であるVTR1000Fに施しているカスタムや思い出などを紹介していきたいと思います。

最初のカスタムはマフラー

新車で購入したVTR1000F。馴らし運転を終了させて真っ先に行ったカスタムは、マフラーの交換でした。実はVTR1000Fの純正マフラーはステンレス製で見た目は悪くないのですが、とにかく重いのです。しかも、その重たいものが左右2本。スポーティなバイクなのに、軽快感を大きく損ねていました。

当時のバイク雑誌などでもこの点が指摘されていて、軽量なリプレイスマフラーへの変更は必須と書かれていたくらいです。

そこで選んだのが、ドライカーボン製の軽量タイプ。当時は既にチタン製マフラーも出回っていましたが、より軽量(といっても1kg程度ですが)で、なおかつ見た目も好みだったカーボンタイプをチョイスしました。装着後の初走行は「ここまで変わるのか!」というほどの衝撃。とりわけ左右の連続コーナーの切り返しでの軽快感がまるで違っていたのを、今でもはっきりと覚えています。

もうひとつの衝撃、サスペンションチューニング

その後もアンダーカウルの装着やレーシングステップへの交換といった具合に、少しずつカスタムを重ねていき、走行距離も伸ばしていきました。当然ながら経年劣化、とりわけ足回りが序々にへたっていきました。ただし、バイク乗りの方ならお分かりになると重いますが、足回りの劣化というのは気づかないうちに進んでいくので、なかなか気づかないものなのです。

そんな折、同じVTR1000Fのライダーさんに勧められたのが、名古屋にあるサスペンションのチューナーさんによるオーバーホールとチューニングでした。このショップのことはバイク雑誌などでも取り上げられていて、気にはなっていたのですが、それなりにいいお値段でしかも名古屋ということで二の足を踏んでいました。

しかし、このライダーさんからその良さを聞かされ、それならばと背中を押されました。結果は…マフラーを交換した時以上に、「これは別のバイクだ!」というくらいの衝撃を受けました。とにかく、コーナーリング時にタイヤが路面をしっかりと捕らえていることが実感でき、安心感も格段に違いました。

一昔前、アマチュアやプライベーターでレースをしている方の間で言われていた「(速く走るには)エンジンよりも足回り」という言葉の意味を、身を持って実感できました。以来、このチューナーさんには、定期的にメンテナンスをお願いしています。

つくばサーキット最終コーナーでの「やらかし」

そんなこんなでVTR1000Fでツーリングやワインディング走行を楽しんでいましたが、それだけでは飽き足らなくなり、また以前より好きだった2輪モータースポーツへの憧憬もあって、サーキット走行会にも参加するようになりました。

1周1km程度のミニサーキットから始め、やがて本格的なレーシングコースであるツインリンクもてぎや富士スピードウエイ、つくばサーキットなどの走行会にも参加するように。最初の頃はおっかなびっくりでしたが、回数を重ねるうちに、自分でもより速く走れるようになってきていると感じていました。しかし好事魔多し。決して調子に乗っていたつもりはないのですが、つくばサーキットの最終コーナーでやらかしてしまいました

ご存知の方もいると思いますが、つくばサーキットの最終コーナーはバックストレートのハイスピードからブレーキング&シフトダウンを行い、駆け抜けていく高速コーナーです。ここでシフトダウンをミスしてコース外のグラベル(砂利が敷き詰めてある緩衝地帯)にオーバーランしてしまったのです。

実はそうした場合、素直に転んでしまった方が、怪我もバイクのダメージも少ないのです。し・か・し…頭では分かっていたつもりでしたが、とっさになんとか立て直そうと頑張ってしまった結果、砂利のコブに乗り上げ、身体がスーパーマンのようにダイブして胸を強打してしまったのです。

幸い骨は折れておらず打撲で済みましたが、3週間近く痛みは続き、行く予定だったとあるアーティストのコンサートも断念することとなりました。この出来事で、胸プロテクターの重要性を文字通り身体で知りました。以来、しっかりと装着するようにしています。

東北一泊ツーリングでの、天国と地獄

VTR1000Fではツーリングにもよく出かけました。日帰りはもちろん、時には泊りがけでも。思い出は数々ありますが、なかでも一番印象に残っているのは、東日本大震災のかなり前、総勢5台で出かけた東北の一泊ツーリングでした。

この時はまず、高速道路を使って会津磐梯山へ。高速と平地では、まったくもって快適だったのですが、磐梯山への峠道で濃い霧が発生していて有視界5mという状況に。しかも成り行きで、私が先頭を走るハメに…。とにかく目を凝らし、センターラインの向きを頼りにどうにか走り続け、山を降りることができました。バイクに乗っていて泣きそうになったのはこれが初めてでした(汗)。

その翌日は山形の米沢まで足を伸ばし、地元の方に教えてもらった「米沢牛」の隠れ家的焼肉店へ。まさに天国状態でした(笑)。しかし、店を出た途端に空がどす黒く。慌てて雨具を着込んで、東京への帰路に着きましたが、東北自動車道に乗る頃には、本降りに。そして東京に着くまで、ずーっと降りっぱなしの雨の中を走り続けることになりました。

いわゆるゲリラ豪雨なら、サービスエリアなどでやり過ごすという手もありますが、その時の雨は、降りは激しくないものの、ずっと続く雨だったのです。真夏だったのにも関わらず「寒い」と感じたのは、この時が初めてでした。

VTR1000Fとの付き合いは、まだまだ進行形

ご紹介した以外にも、VTR1000Fとの思い出はまだまだ多数ありますが、キリがないのでこの辺にしておきましょう。

ここ数年は、2号機のスクーターや4輪車を利用することも増え、以前より乗る機会が減ってしまっていますが、それでも久々に乗る度に、運転する楽しさを思い出させてくれます。

また、メンテナンスやオイル交換などはマメにしているおかげで、深刻な故障は一度も起きていません。流石は「ホンダは壊れない」と言われるだけのことはあるなと実感しています。

欲しいバイク、乗りたいバイクはそれこそ山のようにありますが、とりあえずはまだまだ、この相棒との付き合いを続けていこうと思います。

監修者情報 バイク買取専門店 バイクワン
バイク買取専門店バイクワン
2007年設立のバイク買取専門店。全国無料出張査定・バイク全車種対応可。パーツ買取専門店「パーツワン」も運営。